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YASUKUNI BRIDES~友と共に花嫁になりたくてHoping to be brides with my friend at YASUKUNI

主人との出会いがきっかけで、3つの思いが1つに

Hopes Become One.

さまざまな活動の機会や出会いをいただくなか、私は2006年に難病の膠原病を発症し、一時期は立ち歩きもできないほどに悪化して悩まされていました。「もう、表現もそんなに長くはできないかも。一つ一つを遺作のつもりで挑むしかない。それから、手足が不自由になっても続けられるように、歌も始めよう」。そんな思いで書籍やCDの制作をしていたときに、医師である今の主人と巡り合ったのです。不自由な体と、経済的な困難をして作品を制作していた私を見て、どうにも手を差し伸べられずにいられなかったのだと思います。

何も求めずにただ助けてくれた、とても優しい人です。私との出会いをきっかけに離婚してしまったことは、本当に申し訳ないことでした。でも、そこまでして病気の私を支えようとしてくれた主人の覚悟に応えたかったのです。汚名をかぶることになっても構わない。そう思って結婚を承諾したときの気持ちは、靖国を応援する文章や拉致問題の解決のための活動をしようと決めた時と、少し似ていたかもしれません。

そうして私の中で、ひどく個人的なYちゃんへの思いと、半世紀以上前に亡くなった英霊の方への思い、そして、国難の身代わりのように娘さんが行方不明になった横田夫妻やめぐみさんへの思いが、自然に一つになりました。めぐみさんが私と1歳違いで、漫画がとても好きだったということも、私と横田夫妻の縁を深めてくれました。

媒酌人は横田滋・早紀江夫妻に

Matchmaker are…Mr.Shigeru Yokota& Ms.Sakie Yokota.

私は様々な理由の積み重ねで、両親とずっと疎遠です。そんな私が難病の悪化で頼る人もなく困っていた時、拉致問題の応援をする中で親しくなっていた横田滋・早紀江夫妻に、本当のお父さんとお母さん以上に優しくしていただきました。そんな経緯から、結婚式の媒酌人は横田夫妻にお願いいたしました。ご夫妻からしたら、私でなく、めぐみさんの花嫁姿をどれだけご覧になりたかったろうと思います。でも、ご夫妻は快く媒酌人をお請けくださり、私の親代わりをしてくださいました。

私はそんなご夫妻の優しさにも応えたかったのです。だからこの結婚式では、Yちゃんのお母さんのほかに、国士と仰ぐ方々にお集まりいただき、日本への思いを一つにし、拉致の解決も祈る日にしたいと思いました。私は、親と相容れなかったせいで、ずっと心の拠り所がないまま過ごしてきました。子どもを亡くすことや、行方がしれないことが、どれだけ辛いことか。今回の結婚式にはお越しいただけませんでしたが、東條由布子さんにもいらしていただきたかったです。東條さんは、私のライブにも何度も足を運んでくださり、励ましてくださいました。私自身が、たくさんの方の偽りのない勇気にたくさん勇気づけられてきたのだから、私もそれに感謝して、まっすぐに生きていきたい。

©All Photos by Naoto Ohkawa.

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